君はまだ、のり弁のすごさをわかっていない
時々コンビニとかお弁当屋さんでお弁当を買うことがあるのですが、わりとよく買うのはのり弁です。
あなたはのり弁を買ったことがありますか?
のり弁は大抵は、数あるお弁当たちの中では、比較的安い部類に入ります。
安いところだと300円を切るのに、おかずは白身魚フライにちくわ、きんぴらごぼうとなかなかのラインナップが並びます。白いご飯も、のりが敷かれて、さらに間におかかが敷き詰められていると、ガッツポーズですね。
ところで、安くてうまいのり弁ですが、実はもっとすごい事実に、我々は気づかなければいけません。
のり弁が他の普通のお弁当より「すごい」理由」
それは、おかずがご飯の「上に」乗っていることです。
丼ものだと当たり前ですが、お弁当でこういう形式はあまりないですね。
普通はおかずとご飯は並んでいます。
上に乗っていると何がいいのか。
それは「コンパクト」であることです。
おかずとご飯が並んでいるお弁当は平たく場所をとりますが、
のり弁は広さをとりません。かばんにも入れられます(かばんの大きさにもよりますが)
のり弁はお弁当界の中でも、コンパクトさまで考慮された「芸術」だと思うのです。
得てして我々は大きいことはいいことだと思いがちです。
しかし、大きさにだまされてはいけません。大事なのは中身です。
そういう意味で、中身の質を維持しながらコンパクトにしようという努力の結晶なのです。
ちなみに、このおかげで、お弁当売り場でも場所をたくさんの数を並べて売ることができますし、ということは場所をとらない=売り場の賃料が少なくてすむということはエコノミーでもあるのです。
ということで、今回は「のり弁」のすばらしさについて語ってみました。
ちなみに、こんな記事を見つけたので貼っておきます。(別に回し者じゃないですよ)
楽になることに価値はあるけど、楽なことに流れてはいないか
メンター、とまでは言いませんが、「気にかけている」とある人の投稿をいろいろ追いかけています。
その人は硬軟いろいろな情報発信をする人。
具体的にこんなものがよかったよ~とか
こういうテクニックを使うとより便利になるとか。
その一方で、思考のあり方とか、人生哲学についても語ったりもします。
こういうとき目に見えて顕著なのは、具体的・あるいはわかりやすいものにはみんなコメントをつけたり反応します。
その一方で、ちょっと考えないとなんともわからないようなことは単に「いいね」みたいなマークをつけて終わりにする人が多い。
私もそういう投稿はどうしてもそういうそっけない反応になってしまいがちだったわけですが、しかしよく考えてみると、果たしてどっちのほうが価値があるのか。
当然ながら、咀嚼の必要があっても理解できたときにいろいろ応用できるような事柄のほうが価値があるわけです。
なのにどういうわけか世の中は、わかりやすいことや簡単なことにばかり目が行って、考えるのが必要なことは二の次にされていないか。
だとすれば、私も周りの人々も、やってきたことは「思考」ではなく、「反射」であるわけです。
世の中、「楽にする」ことに価値があるのは事実です。同じ到達目標に行くのに、より早く、より少ない労力で着くのであれば、楽なほうがいいのは事実です。
しかし、「到達目標」がだんだん思考の外に追いやられ、いつしか「楽であること」そのものを高く評価していないでしょうか。
たとえ楽でも、到達目標が高くないのであれば、結果として価値はないはずです。
もっというと、世の中、「考えない」人からお金をむしりとるようにできています。
考えない人は、考える人に比べて不利な条件で契約を結び、割高な手数料を払い、高くもない到達点に甘んじる。どうもこれが社会の実情のようなのです。
例えば、携帯電話のプラン説明の際の注意事項は、チラシやパンフの下にとても小さい字で書かれています。この字を読んで理解しようとする人は結果として安いプランで契約でき、それをめんどくさがる人は携帯電話会社に薦められるがまま、高いプランで契約します。
果たして、私は今まで「反射」ばかりしてきました。全然思考をしてきませんでした。
ちゃんと背景や理由を考えたり、「それで次はどうなる?」ということを考えて、世の中の仕組みや今後の戦略を作っていきたいとおもいます。
あなたは1日3分、「ニヤニヤ」する時間を取っていますか?
こんにちは。もう3月ですね。少しずつ春の訪れを感じます。
さてあなたは、もし理想の生き方をしているとしたら、どんな1日を過ごしているでしょうか。
例えば誰とどこでどんなことをしているでしょうか。
その時見えるものは何でしょうか。
聞こえるものは何でしょうか。
今まで私はこういうことはあまり深く考える機会がありませんでしたが、こうやって毎日3分でも、理想の生き方についてインストールすることは、例えば引き寄せという点でも、あるいはステージアップさせるという点でも有効ですね。
理想の1日を想像するなら
・延長線上より少し外れた、でもちょっとだけ無理めなもの
・できるだけ具体的に
・3分でいいので、ちゃんと継続的に時間をとる
ことが大事ですね。
私も実践していこうと思います。
パークハイアット東京の朝食ビュッフェはなぜ5,000円もするのか
1.新宿副都心の41Fという立地にゆったりとした広さ
2.メニューの種類が豊富
3.店員の配置が多い、そして細やか
結論:お金持ちにとってストレスフリー・快適でコンディションを維持・向上させるような朝ごはんを味わえる。その付加価値は5,000円に値する。
あなたのその行動、ちゃんとリターン得られてます?
★「投資」はお金だけの考え方だけではない
★つまり、行動も「投資」である
★だから、その行動、リターンはどれだけ?
【仮想通貨よりも大事なことがある】コインチェック騒動から私たちが学ぶべき教訓
お久しぶりになってしまいました。あなたはどこでどんな状況でこのブログをご覧になっているでしょうか。
さて、先日から仮想通貨の大手取引所の一つ、コインチェック(coincheck)で大規模なハッキング、そして資産流出というのが大きな話題になっていました。
私も少しばかりお金を入れていましたので、気になっていました。
大した額ではないとはいえ、なくなったら惜しいです。
今回はそんなてんやわんやなコインチェック騒動から私が学んだ教訓を書いていきたいと思います。
・・・と言っても、仮想通貨がどーのこーのとか言ってもおもしろくありませんよね。
そんな話は多分私よりもっと詳しく書いてくれる人がわんさかいるはずですので、私は書きません。
仮想通貨とかそんな事とは関係なく、あなたに伝えたいことがあるのです。
だからビットコインが何かわからない人も、ペリカだったら知っているのに、というあなたも大丈夫です。もっと広く使える話をしますから。
1.人間、一番学びを得るのは「痛い目にあった時」である
今回の騒動で「俺の資産はだ、だ、だ、大丈夫なのか!!!???」とハラハラした人はいっぱいいます。また、入出金が一時停止されているので、思い通りにならず歯がゆい思いをした人もいっぱいいます。
そしてマスコミは今頃になって一斉に「コインチェックのセキュリティは・・・」などど言い始めています。
が、実は界隈では「取引所にお金を入れておくのは危険じゃね?」ということは言われておりまして、知っている人にとっては「まぁいつか起こるよね」ということがただ現実になっただけなのです。
で、こんだけ書いた私はというと、知識としてはある程度持っていましたが、「まぁ、そのうち手を打ちますよ」といってサボってたわけですが、そこでこんなことが起きたわけです。
ということで、私も痛い目にあったひとりですから、学びましたよ。
でもこれ、今までもあった話です。
例えば、東日本大震災をはじめとする天災で、我々は津波の恐ろしさを学びました。
あるいは、過去の大きな戦争で、我々は平和の尊さを学びました。
ここまで大それた話ではありませんが、付き合ってた彼女が自分のもとを去ってから、彼女の存在の大きさに初めて気付く男性はたくさんいます。(あ、男女逆でも同じですよ)
人間は言葉を使って、あるいは記録を使って、自分が体験していないことでも知識をつけることができる生き物です。それなのに、本当にそれができる人はそんなに多くなく、自分が体験してようやく実感する人が多いのです。
それがいいとか悪いとかではありません。そういう傾向にある、というだけなのです。
2.100点の完成品を待つ世の中から、60点でも早く提供される、がスタンダードになった
仮想通貨の話に少し戻ってしまうのですが、あなたも薄々感じている通り、日本の法律も仮想通貨の仕組みも完璧なものではありません。
完璧でないものが普通に世の中に出回っているのです。
昔はこういうことはあまりなかったように思います。予めつぶせるバグは全部つぶし、安心して使えるもののみが出回っていたように思います。
しかし今は60点でもいいからとりあえず早く提供し、その中で問題点が出たら都度修正する、というのが主流になっています。
一番典型的なのはパソコンやスマホのアプリです。ベータ版と呼ばれる60点のものがとりあえず迅速に提供され、バグが出たら「アップデート」という形で修正され、徐々に100点を目指していきます。
これもどちらがいいか、ではありません。そういう世の中になりつつある、ということなのです。
3.大事なことはフィールドに残り続けられること
私がコインチェックに入れていた金額は、絶対的に見れば小さくはありませんが、それでも、それを失ったとしても再起不能になる金額ではありません。
また、稼げば戻せる程度の金額なので、割り切ることもできます。
しかしもしここに有り金のすべてを突っ込んでいたとすれば、多分今頃絶望の淵に落とされていたと思います。
もし、借金してまでつぎ込んでいたら、生きられていたかはわかりません。
この違いは何か。それはフィールドに残り続けられているかどうかだと思います。
フィールドに残り続けさえいられれば、もう一度挑戦することができます。チャンスがある限り希望はあります。
しかし、やむを得ずフィールドから退場させられたら、挑戦することもできません。
この違いは大きいです。如何にしてフィールドに残り続けられるか。そのためには早めの撤退・損切りも必要になります。
最後に
ということで、仮想通貨をやっているorいない、どちらの方にも学びがちゃんとある騒動でした。
「人生に失敗なんてない」という人もいますが、それは失敗を次に活かすからそう言えるのであって、活かせなかったら失敗は失敗以外の何物でもありません。
ここから我々が何を学ぶか。それが問われています。
今までの水準からステージアップできるかどうかは、こういうところからして違うのですね。
明日の自分が今日の自分より少しでも成長していますように。
大事なのは「答え」ではない
先日、とあるセミナーに行ったんですね。セミナーといっても堅苦しいものではなく、ちょっと食事を楽しみながらついでにお話を聞きましょう、見たいな感じのです。参加者は20名ちょっと。実にこじんまりとした会場です。しかもクローズド。紹介でないと参加できません。そういう貴重な機会に縁あって参加できました。
で、講師は年齢30ちょっとにして億万長者になった実業家の方。高校生のころお金で相当苦労したことから発奮して、労働に投資にビジネスにと馬車馬のごとく展開した結果、今の地位や人脈を得たとのこと。お金に関してはもうマニア的な知識を持っていますが、それだけでなく人脈もそうそうたるもの。パートナーにもお子さんにも恵まれ、まさに「成功者」といってもいいでしょう(プライベートはちょっとわかりませんが)
で、なにか講師の方から講話があるのではなく、参加者一人一人から質問をきいて、それに答える60分一本勝負。台本なしの完全アドリブ。これがどれだけ大変かというのは、私よりも一度そういう経験をしたことある方なら大きくうなずけるはずです。
さてさて。そんな実業家の方とめったにお話できるわけではないものですし、質問は一人1問限定。これはよく練って考える必要がありますよね。
もしあなたなら、どんな質問をしますか?
つまりこういうことです。
目の前にあなたが憧れとし、こうなりたいという人が現れたとします。その人に対して1つだけ質問できます。
そしてもうその人とは会うことができないとします。
さて、あなたはなんと質問しますか?
ちなみに参加者の人は「仮想通貨でおすすめなものはどれですか?」「いい節税対策はないですか?」「金投資はどうですかね?」などなど。
私はこう質問しました。
「あなたは実業家として様々な場面でジャッジしたり考えてきたと思うのですが、もし私たちがあなたと同じような思考過程をインストールしたいと思ったら、なにをすればいいでしょうか?」
たった一問しか質問できないならば、如何にしてこの人と同じ考えができるか、そしてアウトプットができるのか。
他の人が「答え」を求めたのに対し、私はその「過程」を求めました。
答えを直接的に知ることは再現性がありません。プラットフォームが変われば、あるいはルールが変われば、いや、それでなくともちょっと環境が変わるだけで、今まで使えていた「答え」はたちまち使えなくなるのです。
大事なことはその「答え」になぜたどり着けるのか、です。彼は私とは何が違うのか。彼にできて私にできない理由は何か。私が彼と同じようにできるためにはどこをどう変えればよいか。
よく言われるのが魚と魚釣りの関係です。魚を与えるのではなく、釣り方を教えるべきだと言われますが、これは魚を与えるのは「答え」、釣り方が「過程」にあたります。魚を与えられるだけでは、与えられなくなった途端に飢え死にしていますが、釣り方さえマスターすれば自力でほぼ永久的に魚が食べられるのです。そして、釣り方という直接的な技法から、魚の行動や習性を理解して応用することに展開することができれば、突然魚が獲れなくなったとしても、移動したり網を変えたりということが自力で思いつき、結果としてやはり魚を自力で獲り続けられるのです。
私も時々「答え」を求めてしまいます。ただ、それは一時的にしのげるだけであることを改めて肝に銘じようと思います。
一時的にしのぐこと自体が悪いわけではありません。ただ、「答え」は即効性はあるが脆い。如何にしてそこに辿り着くか、なぜそうなるのか。そこを大事にしなければ本質は得られないでしょう。
ところで、先ほどの抽象的な質問を講師にしたら、やや苦笑いして次の二点を挙げました。
1.好きこそものの上手なれ。好きだからこそ勉強するし詳しくなる。それが活きる。
2.何かに詳しいとともに、別の何かには疎いもの。例えば講師自身は芸能には実に疎い。
というわけで、これからじっくりこれがなぜ答えになりうるのかを考えていきたいと思います。その話はまたいつか。
あ、いつもは入れている写真なのですが、今回は入れ損ねたので、最後に1枚イラストを入れておきます。これが何を指すのか、は置いておくことにしましょう。