環境を変えて、行動の選択肢を増やす。これが人生を変える王道。
1.情報格差はこれからますます起きる
2.とはいえ、コンテンツの価値は相対的には低下する
3.これからお金をかける価値があるものは「環境・コミュニティ」である
キンコン西野『革命のファンファーレ』を越える!?今年の芸人本マストバイはこれ一択
歩みを止めてもどうにかするために
歩みを止めたら次の瞬間止まっちゃうんですか?
前回こういう記事を書きました。
おかげさまで一週間ほどで体調も良くなり、(その後もうしばらくお腹の不調に見舞われるのですが、これはまた別の話)職場に復帰したわけですが。。。
さて、そういう記事を書いたところ、「やっぱり有給休暇っていいよね」という話がいろいろ出てきました。
たしかにこれはサラリーマンにとってはありがたいことですね。
ただ、私はこの意見、半分は賛成しますが、もう半分は賛成できないです。
まず、いろいろ途中の過程をブッ飛ばして結論だけ書くと、
「自分が仕事にちょっとやそっと向き合えなくても、ちゃんとお金が入ってくる体制を整えることが大事。それが有給休暇に限定される必要はない」
ということです。
もっというと「歩みを止めたら次の瞬間から前に進めないような体制に依存するのは危険」ということなのです。
・・・そんな体制じゃないものなんてあるのか?って?
まぁ、ちょっとお付き合いください。
例えば、あなたは自転車に乗ったことはありますか?
ほとんどの人は乗ったことがあると思います。
あれ、漕ぎ始めてからしばらくは力が要りますね。
ところが、ある程度スピードが乗ってくると、ペダルをこぐのをやめてもすぐには止まらないですよね。
ということは、スピードがつき始めると、あとは要所要所でペダルをこいでやれば、ずっと漕ぎ続けなくてもちゃんと前に進みますよね。
これ、徒歩とかランニングだとそうはいかないです。まだランニングは惰性で少しは何とかなりますが、どちらも足を前に出してやらないと、歩みを止めたとたんに止まります。
これが、徒歩と自転車の大きな違いです。
もっというと、そもそも自転車を発明した人はすごいと思います。
人間の力を自転車という機械に加えることで、徒歩よりずっと速く進めて、しかも楽できる。
これはすなわち「仕組み」の力です。
少し話が脱線しましたが、もう一度言いましょう。
「歩みを止めたら次の瞬間から前に進めないような体制に依存するのは危険」なのです。
有給休暇はいうなれば、歩みを止めてもお金を渡してくれる体制です。
ただこれも自由に取れるわけではないですね。
そもそも取れるか取れないかなんて会社もありますし、とれたとしても限度があります。
で、前回と矛盾したことを言いますが、
「そんな不自由な体制に依存していて大丈夫?」ということなのです。
・・・ちょっと長くなりました。続きは次回にしましょう。
三日寝込んで実感したサラリーマンの光と影
1年前は会社の同期の結婚式(のはずだった日)、そして今は・・・
1年前は私が携帯メールを見落としたおかげで1日を棒に振った日でした。(全く無駄にしたわけではありませんが、この予定があったおかげで、行きたかった別の予定を断ったという経緯がありました)
前の会社の同期の結婚式に招待されていたのです。で、当日行ったらやけに人がいない。きいてみると
「3週間前にキャンセルになりましたよ」
ええええ!?
「なんでも皆さんにメールでお知らせしたみたいで」
たしかに携帯メールを見てみるとそれくらいの時期にメールが来ている。しかも未読。うっかりしてたわー。
でも、招くときは郵送で招待状送っておいて、中止にする時はメール1通でキャンセルにするって、そんな軽いもんなのか?結婚式って。
それはさておき、今となってはもう前の会社の人と連絡を取ってません。それどころか「今頃どうしてるのかな」と気に掛けることもなくなりました。
別に嫌っているわけでもないし、最後に連絡を取った何か月前かの時も普通でしたし、まぁ、連絡が来れば対応するとは思います。
ただ正直言わせてもらうと、もう彼らとは別の世界の人間になってしまったと私は思っています。(いい意味でも悪い意味でもなく)
詳しくはここに書けませんが、前の会社にもいいところはいろいろありましたが、それを考慮しても前の会社を辞めたことは私は自分では正解だったと思っています。
何が言いたいかというと、自分の付き合う人はその時々によって変わっていくんだなということ。それは不可避ですし、必然だと思います。
もっというと、誰と付き合うかはとっても大事。ひとりひとり見えている世界も基準も全然違うので、誰と世界を共有したいか、誰と新しい世界を切り開きたいか、そこを自分に問うていく必要があるかなと思います。
私のブログは万人受けするものではないと思っています。読む人を選びます。それはわかっています。
ただ、思いは「自分を発信し、読む人のうち刺さる人だけが糧にしてもらえるならそれでいい」ということです。
万人受けするけど当たり障りのないことを言うくらいなら、一部の人にしか刺さらなくても言いたいことを言うのが思いとしてあります。
刺さらなくてもその人の価値観を否定するつもりはありません。賛同できないだけなのです。
というわけで、お付き合いいただける方は今後ともよろしくお願いいたします。
きっと読んで損はさせないです(←効果には個人差があります)
キンコン西野「革命のファンファーレ」はやっぱり一味違う本だった
どうも。エースです。
巷で今一番の話題と言えばキングコングの、というより西野 亮廣氏の最新刊『革命のファンファーレ』です。
正直この人のことが好きか嫌いかと言えば、あまり好きな方ではありません。いろいろ話題になったとある絵本も買ったことはありませんし、彼の手法もあまり好きではありません。
ただし、言っていることはかなり真をついています。彼の言葉を無視するわけにはいきません。
ということで読んでみました。まだ読み途中ですけどね。
なぜ、彼の本が巷で話題なのか、というより彼の発言がいつも大きくクローズアップされるのか。
彼自身はこれらを計算してやっているからに他ならないのですが、この視点が普通の視点より一段上です。
例えば、彼は絵本『えんとつ町のプペル』を全ページ無料公開しています。それについて「無料にすると本来クリエイターに払われるべき報酬がなくなってしまう」という批判があります。
しかしそれに対しては、一度「だったら例えばテレビアニメーションなんか無料で見せてるのにちゃんと商売になってるじゃん」と論破したうえで、さらに
「無料で見せても、ちゃんとあとで100人に1人でも購入してもらえるような戦略を立てて実行すればかえって儲かる」
とまで言い切ります。
このあたりはふつうの人が見えている「等価交換」に「時間軸」や「1対1でなく多人数の展開」という、1つも2つも上の次元からの物事の考え方が発揮されています。
この「上の次元の考え方」こそが価値のある考え方なのです。
ちなみに、彼の考え方は他にも興味深いところがあります。例えば、
僕らの意思決定の舵は、僕らの「脳」ではなく、「環境」が握っている。 考え方を変えたいなら、環境を変えた方が、てっとり早い。
とか、
「人が時間やお金を割いて、その場に足を運ぶ動機は、いつだって『確認作業』で、つまりネタバレしているモノにしか反応していない」
とか。
これからの新常識をインプットするうえで、革命的とまでは言いませんが、「集大成」と言っていいと思います。
共感するかどうかはわかれるところだとは思いますが、知っておく必要はあると思いますよ。