エースのステージアップへの軌跡

「当たり前の水準を引き上げる」をテーマに、いろいろなことについて語っていきます。メンタルやスピリチュアルな話からお金や仕事の話まで。

環境を変えて、行動の選択肢を増やす。これが人生を変える王道。

先週末は神戸、そして水曜日は大阪に行ってきました。両方ともセミナーです。といっても、講師が一方的に話すのではなく、双方向のやりとりがあり、体感できるワークがあり、というものです。人数も10人程度、だから講師からは受講者一人一人の表情も考えの遷移もよくわかるような距離です。
 
最近受講したり様々な情報に触れていろいろ考えてみました。現時点での考察です。
 

1.情報格差はこれからますます起きる

 「情報格差」というとすごくぼんやりしていますが、はっきり言うと「知らない人間は知ってる人間に搾取される」ということです。「知らない人が損をして出た分け前を知ってる人間が奪い取っていく」ということですね。
 一番身近でわかりやすい例でいうと、「定価」で買う人と「割引価格」で買う人の差です。クーポンを持っている、セール情報を知っている、違うところを経由するとポイントがつく、と言うことを知っていると、お得にものが買えるのに、それを知らない人は定価で買わざるを得ません。
 お得にものが買えるということは売り手からしてみれば利益が減るわけです。この原資はどこからもってくるのかというと、定価で買っている人から上がる利益です。もっというと、定価で買う人は、お得に買う人の購入価格の一部を肩代わりしているということです。別に当の本人は同意してもいないのにですよ。
 つまり、定価でものを買う人は、お得に買う人に搾取されているのです。
 お得に買う人はお得に買える情報を持っているから買えるのです。搾取する側になるのか、される側になるかの違いは「情報」というわけです。
 

2.とはいえ、コンテンツの価値は相対的には低下する

 情報そのものに価値があることは間違いないのですが、しかし、インターネットが発達し、これまではお金をかけなければ得られなかったものが、検索エンジンで検索すれば簡単に出てくるようになったのもまた事実です。
 例えば、「モノを買うときに得するポイントのため方」なんて、ちょっと前だとそれで本が1冊書けて割といいお値段で販売されていました(今も売られていますが)。
 しかし、今ではそれをまとめたサイトはいっぱいあります。
 

3.これからお金をかける価値があるものは「環境・コミュニティ」である

ではこれから何にお金をかけるべきなのか。
実は「環境」そして「コミュニティ」です。
 
まず、大事なことは「コンテンツそのものの価値は低下するが、どういう情報を得たらいいのか、どういう情報があるのか、実はこんな情報もありまっせ、というもの自体の価値は上がる」ということです。
例えば、「お得なポイントのため方」は、今やネットで無料で見ることができますが、「お得にポイントをためることができる」と言う事実は案外知られていません。つまり、検索かければわかるけど、そこにたどり着くまでが限られた人しかできないのです。だから価値があるのです。
これは理由があって、「お得にポイントがためられると言うことを知っている」世界に行くためにはジャンプが必要だからです。世界そのものが見えていないのです。「そんな世界があるならはじめから教えてくれればいいのに」というわけです。
この「見えなかった世界を見えるようにする」というところには、大きな価値があります。
 
例えば、お金を貯めることが絶対必要と思い、毎月貯金をし続けているひとが、「貯金を無理してしなくてもお金が確実に毎月入ってくる世界」が見えることで、その人には革命と言えるほどの大きな変化が起きるのです。
 
あるいはパートナーとの結婚生活がうまく行かなくて悩んでいる人にとって「そのパートナーが絶対ではない」世界が見えると、精神的にはずいぶん楽になります。そうすると思考に新しい風が取り入れられ、前向きに行動できるようになります。あるいは他のところにエネルギーがまわり、なぜかそれによってパートナーとぎくしゃくしていた関係がうまく行くようになる、なんてこともあります。
 
 
「見えなかった世界を見えるようにする」ことは人生を変えることです。ですから、ここにお金をかける価値があるのです。それにはどうすればいいか。
一番手っ取り早いのは何度も言うように「環境を変えること」です。
環境を変えると、新しい行動の選択肢が見えてきます。もちろん、行動することが人生を変えるには必要不可欠ではあるのですが、そもそも、今までの枠内でしか行動の選択肢が見えていない時点で、手持ちのカードが悪すぎるのです。
 
行動することは大事です。しかし、その前提は、それが「効果に結びつく行動」であることです。
そのためには、行動の選択肢を広げることであり、もっというと自分が持ち得ない選択肢を持っている人の世界を知ることなのです。
 
だからこそ、環境を変えて新しい世界を見られるようにすることが大事なのです。そして、そこにはお金をかける価値があるのです。
 
先に、「コンテンツそのものの価値は相対的に低下する」と書きましたが、それは、「環境を変える」効果が薄いからです。
もちろん、本を1冊読み、そこから目から鱗が落ちて考え方が改まり、人生が変わる人がいるのは事実です。ただ、コンテンツだけでそこまでたどり着く人はそう多くはないのです。
多くの人は理解しただけでは動けません。それができるなら過食や不摂生で肥満になる人はいませんし、パートナーとの関係でまずい対応をすることだってありません。
コンテンツには価値があるのですが、それだけでは足りないのです。そしてその足りなさが今後ますます広がるのです。
 
コンテンツは入り口としては申し分ないです。しかし、時代は次を求めている。それは「環境によって新しい世界が見られるようになり、今まで自分がとれなかった行動をとれるようになり、現実を変える」ことです。
 
 

キンコン西野『革命のファンファーレ』を越える!?今年の芸人本マストバイはこれ一択

世間的に、今一番勢いのある本と言えばやっぱりキングコング西野亮廣氏の『革命のファンファーレ』だと思います。
以前私のブログでも紹介しました。
で、これと双璧をなす芸人が現れました。
それは誰かというと...
 

f:id:ace3110:20171124022226j:plain

かつては「武勇伝」でリズムネタを流行らせ、その後一時テレビでは見かけなくなりましたが、最近はPERFECT HUMANでまた若者に人気を博しました。
中田氏自身もビビットという情報番組でコメンテーターをつとめたり、しくじり先生という半分バラエティながらもちゃんした情報がとれる番組でたまに講師役もやっていました。
 
そんな彼が満を持して出版したのがその名も『天才の証明』
版元は日経BP社ですから、もちろんちゃんとした本です。
 
彼がお笑いの道を志してから一度は隆盛を究め、しかしその後に下火になりながらも、そこからきちんと自分と向き合い、そして周りや流行を見極めて再度スターダムにカムバックするまでの過程を描き、そこから私たちに示唆してくれる考えの数々は、現代そして近未来においていかにして生きるべきかを提示してくれます。
 
いくつか引用してみます。
 
~~~~~~~~~~~~
 
 時代が変われば、(中略)前の時代とは異なる視点も自然に生まれてきます。価値観は常に更新されています。
 メインストリームとされる考え方があったとして、「それは1つの考え方にすぎない」との視点をもてるかどうかで、身の処し方もずいぶん変わります。 (P71)
 
~~~~~~~~~~~~ 
 
 負ける人ほど同じところにいて動こうとしません。世界は広いのに。自分にフィットする街は必ずあります。(P80)
 
~~~~~~~~~~~~
 
 その人は何が優れているのか、本人には分かりません。人は「あなたの才能は何ですか?」と聞かれると、「特別な才能はありません」とだいたい言います。(中略)自分自身の武器は、自分には見えにくい。人から見たら優れた能力なのに、自分にとっては当たり前に備わっているから気づけないのです。
 その人が歩んできた道や固有の環境は、誰かと異なっていることが、すでに才能です。(P115~P116)
 
~~~~~~~~~~~~~
 
彼がすごいところは2つあります。
 
1つは分析力。何が強みで何が弱みなのか。なぜ彼にはできて自分はできていないのか。そこを解き明かすのがうまいのです。
 
そしてもう1つ、それは具体的な事象から一般的な事例への展開が「よくそこからそれが導けるよなぁ」と目から鱗が落ちる点です。
 
みんな一人ひとり人生を生きているのに、そこから分析をして、教訓を引っ張ってこられるのは一つの能力です。
 
この点は西野氏とはにてるようで少し違う点です。
 
引用部分はもちろん具体的事例があってのものなので、そこを本できちんと読んでもらえると、より腑に落ちるはずです。
 
というわけで、自分を見失いそうなあなたに、そして自分が凡人でつまらない存在だなぁとおもっているあなたに是非おすすめです。

歩みを止めてもどうにかするために

さて、前回こんな記事を書きました。
端的に言うと、自分が歩みを止めた瞬間に倒れるような状況は危険ですから、何とかしましょうということです。
 
それはつまり、労働以外の収入源をもちましょう、ということです。
 
選択肢は色々あると思いますが、今私が構築を目指しているのが、このブログの最初の方でも話をした「株式投資」です。
株式というと値上がりとか値下がりとか、儲かるとか儲からないとかそういう話になりがちです。私もそういう話は嫌いではないのですが、株式投資の根源的な意味はそこではありません。
 
最初に話しましたが、株式とはつまり、「最初にお金出すから、その事業で儲かったら分け前をちょうだい」ということなのです。
その分け前を専門用語では「配当」と言い、毎年、あるいは半年に1回、チャリンチャリンとお金が入ってくるのです。
 
そして会社によっては、株主とりわけ個人株主に事業を知ってもらうのと感謝の意味を込めて「株主優待」と言って自分の会社で使える食事券や自社製品を配ったりもしています(たまに全然関係のないクオカードだったりもしますが)
有名なところでいくと例えば吉野家。そうです。かつては「うまい、安い、早い」でおなじみのあのお店です。吉野家では、半年に一回、300円分食事券を10枚配っています。(2017年10月現在、100株の場合)
牛丼並盛がこの食事券でたったの80円になります。

www.yoshinoya-holdings.com

 
こんな感じで、決して大金持ちと言うわけにはいきませんが、細いながらも脈々と流れるお金の流れをたぐり寄せることができるのです。
 

f:id:ace3110:20171120015101j:plain

 
今回は深いお話は割愛しますが、こうやって、労働に完全に依存する人生から少しずつではありますが、シフトしていく人生を私は目指しています。
もし興味がありましたら、もう少し深い話をしたいと思います。
 
もちろんこれだけが手段の全てではないです。ほかにも色々あり、私も試している最中です。
 
結局これも視野を広くし、次元をあげるための方法です。一歩踏み出すと人生が変わっていくことは間違いないですよ。

歩みを止めたら次の瞬間止まっちゃうんですか?

前回こういう記事を書きました。

 

stageup.hatenablog.com

 

おかげさまで一週間ほどで体調も良くなり、(その後もうしばらくお腹の不調に見舞われるのですが、これはまた別の話)職場に復帰したわけですが。。。

 

さて、そういう記事を書いたところ、「やっぱり有給休暇っていいよね」という話がいろいろ出てきました。

たしかにこれはサラリーマンにとってはありがたいことですね。

ただ、私はこの意見、半分は賛成しますが、もう半分は賛成できないです。

 

まず、いろいろ途中の過程をブッ飛ばして結論だけ書くと、

「自分が仕事にちょっとやそっと向き合えなくても、ちゃんとお金が入ってくる体制を整えることが大事。それが有給休暇に限定される必要はない」

ということです。

もっというと「歩みを止めたら次の瞬間から前に進めないような体制に依存するのは危険」ということなのです。

f:id:ace3110:20171110234333j:plain

・・・そんな体制じゃないものなんてあるのか?って?

まぁ、ちょっとお付き合いください。

 

 

例えば、あなたは自転車に乗ったことはありますか?

f:id:ace3110:20171110234350j:plain

ほとんどの人は乗ったことがあると思います。

あれ、漕ぎ始めてからしばらくは力が要りますね。

ところが、ある程度スピードが乗ってくると、ペダルをこぐのをやめてもすぐには止まらないですよね。

ということは、スピードがつき始めると、あとは要所要所でペダルをこいでやれば、ずっと漕ぎ続けなくてもちゃんと前に進みますよね。

 

これ、徒歩とかランニングだとそうはいかないです。まだランニングは惰性で少しは何とかなりますが、どちらも足を前に出してやらないと、歩みを止めたとたんに止まります。

これが、徒歩と自転車の大きな違いです。

もっというと、そもそも自転車を発明した人はすごいと思います。

人間の力を自転車という機械に加えることで、徒歩よりずっと速く進めて、しかも楽できる。

これはすなわち「仕組み」の力です。

 

少し話が脱線しましたが、もう一度言いましょう。

「歩みを止めたら次の瞬間から前に進めないような体制に依存するのは危険」なのです。

 

有給休暇はいうなれば、歩みを止めてもお金を渡してくれる体制です。

ただこれも自由に取れるわけではないですね。

そもそも取れるか取れないかなんて会社もありますし、とれたとしても限度があります。

 

で、前回と矛盾したことを言いますが、

「そんな不自由な体制に依存していて大丈夫?」ということなのです。

 

・・・ちょっと長くなりました。続きは次回にしましょう。

三日寝込んで実感したサラリーマンの光と影

水曜日から高熱と腹痛とで寝込んでおりました。

f:id:ace3110:20171029213809j:plain

その前日の火曜日、仕事前に一つオンラインでミーティングを入れたことから、無理を承知で睡眠時間を削って臨んだまではいいものの、
その日の夕方から急に寒気と食欲不振になり、仕事を早退。早めに寝ましたが万事休す。
 
思えば最近は休みのたびに遠征したり、地元で迎え撃ったりという日々で、睡眠負債を返済できず、疲れを持ち越す日々でした。
体が悲鳴を上げたのも当然でしょう。
 
というわけでこの土日は久しぶりに予定を入れない休みとなりました。
目覚ましもかけずに何に追われるわけでもない生活は心穏やかでした。
 
もちろん休みの予定を入れていたのは自分の意志であり希望でした。しかしそれですら、自分をむしばんでいたというのは私にとってはちょっと驚きでした。
 
いやぁ、たまにはのんびりするのもいいですね。
 
 
・・・で終わればよかったのですが、
「のんびりする日も作りたい。でもいろいろなところに行きたいし、いろいろな人に会いたい。」
(ただしここでいう「いろいろな」は量の問題ではありません。質の問題です)
と思ったとき、「今のままじゃ無理だなぁ」と思うわけです。
 
何がダメなのか考えた時に思うのは、
自分が能動的に選択した行動がどれだけあるか、ということです。
普段の日は、会社に行ってやらなきゃいけないことをこなして、という非能動的(受け身という意味とはやや異なります。)な選択のもとで
過ごしていることが多いわけで、能動的選択をしている日が一週間の中でせいぜい二日しかないというのが根源なのかなぁ、と思うのです。
 
心構えの問題?いえ、そんな単純な話ではない。
確かに自分で選んだ仕事だけれど、決して楽しくないわけでもないけれど、自分の選択権が決して大きくないというただ一点がどうしても引っかかるのです。
 
これがサラリーマンというものか、と実感しました。
ただ一方で、選択権を明け渡す代わりに毎月固定の給料を安定してもらえる。その上、この三日間「有給休暇」という形で、休んでもちゃんとお給料がもらえるのですから、そこは感謝せねばなりませんな。
もちろん毎月安定した収入というのは大きなメリット。そう簡単に手放せないのです。
 
とはいえ、選択権を取り戻すことを考えるのなら、ここは越えねばならないハードルですね。
 
サラリーマンのメリットとデメリット両方を実感したうえで、さてどうする?と突きつけられた出来事でした。
 

1年前は会社の同期の結婚式(のはずだった日)、そして今は・・・

1年前は私が携帯メールを見落としたおかげで1日を棒に振った日でした。(全く無駄にしたわけではありませんが、この予定があったおかげで、行きたかった別の予定を断ったという経緯がありました)
前の会社の同期の結婚式に招待されていたのです。で、当日行ったらやけに人がいない。きいてみると
「3週間前にキャンセルになりましたよ」

ええええ!?

「なんでも皆さんにメールでお知らせしたみたいで」

たしかに携帯メールを見てみるとそれくらいの時期にメールが来ている。しかも未読。うっかりしてたわー。

でも、招くときは郵送で招待状送っておいて、中止にする時はメール1通でキャンセルにするって、そんな軽いもんなのか?結婚式って。


それはさておき、今となってはもう前の会社の人と連絡を取ってません。それどころか「今頃どうしてるのかな」と気に掛けることもなくなりました。

別に嫌っているわけでもないし、最後に連絡を取った何か月前かの時も普通でしたし、まぁ、連絡が来れば対応するとは思います。

ただ正直言わせてもらうと、もう彼らとは別の世界の人間になってしまったと私は思っています。(いい意味でも悪い意味でもなく)
詳しくはここに書けませんが、前の会社にもいいところはいろいろありましたが、それを考慮しても前の会社を辞めたことは私は自分では正解だったと思っています。

何が言いたいかというと、自分の付き合う人はその時々によって変わっていくんだなということ。それは不可避ですし、必然だと思います。
もっというと、誰と付き合うかはとっても大事。ひとりひとり見えている世界も基準も全然違うので、誰と世界を共有したいか、誰と新しい世界を切り開きたいか、そこを自分に問うていく必要があるかなと思います。

私のブログは万人受けするものではないと思っています。読む人を選びます。それはわかっています。

ただ、思いは「自分を発信し、読む人のうち刺さる人だけが糧にしてもらえるならそれでいい」ということです。

万人受けするけど当たり障りのないことを言うくらいなら、一部の人にしか刺さらなくても言いたいことを言うのが思いとしてあります。

刺さらなくてもその人の価値観を否定するつもりはありません。賛同できないだけなのです。

というわけで、お付き合いいただける方は今後ともよろしくお願いいたします。

きっと読んで損はさせないです(←効果には個人差があります)

f:id:ace3110:20171016005543j:plain

 

キンコン西野「革命のファンファーレ」はやっぱり一味違う本だった

どうも。エースです。

巷で今一番の話題と言えばキングコングの、というより西野 亮廣氏の最新刊『革命のファンファーレ』です。

f:id:ace3110:20171005015543j:plain

正直この人のことが好きか嫌いかと言えば、あまり好きな方ではありません。いろいろ話題になったとある絵本も買ったことはありませんし、彼の手法もあまり好きではありません。

ただし、言っていることはかなり真をついています。彼の言葉を無視するわけにはいきません。

ということで読んでみました。まだ読み途中ですけどね。

 

なぜ、彼の本が巷で話題なのか、というより彼の発言がいつも大きくクローズアップされるのか。

彼自身はこれらを計算してやっているからに他ならないのですが、この視点が普通の視点より一段上です。

例えば、彼は絵本『えんとつ町のプペル』を全ページ無料公開しています。それについて「無料にすると本来クリエイターに払われるべき報酬がなくなってしまう」という批判があります。
しかしそれに対しては、一度「だったら例えばテレビアニメーションなんか無料で見せてるのにちゃんと商売になってるじゃん」と論破したうえで、さらに

「無料で見せても、ちゃんとあとで100人に1人でも購入してもらえるような戦略を立てて実行すればかえって儲かる」

とまで言い切ります。

このあたりはふつうの人が見えている「等価交換」に「時間軸」や「1対1でなく多人数の展開」という、1つも2つも上の次元からの物事の考え方が発揮されています。

この「上の次元の考え方」こそが価値のある考え方なのです。

ちなみに、彼の考え方は他にも興味深いところがあります。例えば、

僕らの意思決定の舵は、僕らの「脳」ではなく、「環境」が握っている。  考え方を変えたいなら、環境を変えた方が、てっとり早い。

とか、

「人が時間やお金を割いて、その場に足を運ぶ動機は、いつだって『確認作業』で、つまりネタバレしているモノにしか反応していない」

とか。

これからの新常識をインプットするうえで、革命的とまでは言いませんが、「集大成」と言っていいと思います。

共感するかどうかはわかれるところだとは思いますが、知っておく必要はあると思いますよ。