世界は○○できるという話
私は時々、facebookで投稿したりタイムラインを見たりしています。
この世界ってリアルな世界とちょっと違うんですよね。
たまに、言いたい放題言っている人がいるんです。リアルでみんなに言ったらそれこそひと騒動起こしそうな感じで。
なのに、なぜかコメントとかリアクションは好印象なものばかりなんですね。
具体的に誰とは言いませんが、まあ、ちょっと検索すればそういう人はごろごろ出てくるんですよね。
最初私はずいぶんおかしいなぁと思っていたんです。だって、リアルな世界はそんなことはありません。ちょっと辛(から)いことを言えば、後ろ指さしてくる人がいます。言いたいことが言えない、これがリアルな世界だと思います。
ところが、ネットの世界では「ブロック」という便利な手を使うことができるわけです。クソなことを言ってくる人間がいたら、自分の世界から排除できるのです。
結果として自分の生息する世界には、付き合いたい人だけが残る、何とも不思議な世界です。
ほら、嫌っている人がいない、完璧な世界ですね。
ネットの世界だけで生きるというのもそれは無理な話ではあると思います。
ただ、Facebookの世界に踏み入れた私が徐々にわかってきたことは、「自分を取り巻く世界は選択できる」ということでした。
これを知らなかったら、嫌っている人がいない世界を目指したい私は、現実に絶望していたでしょう。
ただ、Facebookでまだまだ全体公開していないので何とも言えませんが、少しずついろいろな人とかかわってきて、自分が発信したことに対し、嫌う人がいない世界は作れるものなのかな、と思い始めるようになってきました。
だとすれば、世界は選択できるのではないか、ということになります。
そういえば、この記事を書きながらふと思い出したのですが、『毎日かあさん』でおなじみの西原理恵子さんがこんなことを言っていました。
いじめられている子どもにとってなによりつらいのは、今直面しているこの世界以外に生きられる世界がないことです。
もし、この世界を捨てて別の世界に行けるのであれば、悩む必要はないわけです。
だからこそ西原さんは、高校生になるまではいじめられている世界から逃げなさい、そして高校生になったらいくらでも別の世界に行く選択肢はある、と言っているのです。
というわけで、完璧を目指すあなたが消えずにすむ方法、それは、自分が心地いい世界を選択すること、というわけです。
まぁ、それは決して簡単ではないわけですし、私もまだまだこれからなわけです。
いやぁ、日々精進ですね(そうまとめるか)
さて、前回・今回にわたって自分が世界を選択する、という話をしてきました。
この話はもともとは、私がかかわっているコミュニティで「完璧」の話が出たことから書いてみたわけですが、
この「世界は選択できる」という話はもう少し続きます。
なんだか2回ほど毛色の違う話をしてきましたが、
ここからなんと、話は思わぬ方向に!
次回へ続きます。
(・・・話をうまく持って行けるかしら・・・)