ノートをとるのは何のため?○○と××の話
さて、前回はこんな話をしました。
つまり、ノートをとるときは板書以外も大事だよ、という話でした。
まぁ、大人になってからノートを取るなんてことはあまりない人が多いかもしれませんね。
で、まだまだ続くぜ、なんて勢いで言ってみました。
いや、ほんとは勢いじゃないですよ。
さて、ここで問題です。なぜこの少年はノートを取ったんでしょうかね?ノートを取るなんてそんなめんどくさいことをなぜそこまでしてやったのか?ということです。
それは、あとで見返すため?
惜しい。正解はあとで復習して、授業の内容を思い出すため。
あれ?授業の内容を思い出すも何も、インプットしてないじゃないですか!
さらに言うと、ノートを取るという行為は授業の内容を思い出すということに何の役にも立ってない、ということは明らかですよね。
つまり、手段が手段になってないわけです。
これは割とあるんじゃないですかね?
手段が手段でなくなってしまうのには、2つのパターンがあります。
1.いつの間にか何の為にやっているのか分からなくなった(手段の目的化)
2.目的はちゃんとあるけど、その手段は目的達成のためにふさわしくない
今回の場合は2ですね。どうせノートを取るならちゃんと先生の話を聞いて、その内容をノートに盛り込む必要があったんですね。
というわけで、現在の私はちゃんとノートが取れるようになりました。おかげで、あとから見返したときに、講師が何を伝えたかったのかが反復して思い出せるようになりました。これで目的達成ですね。
というわけで、今回は「手段と目的のお話」でした。
おさらいすると、
1.その行為の目的は何ですか?手段が目的化してませんか?
2.目的達成のためにとっているその手段は正しいものですか?
となります。まぁ、これが分かれば苦労しないんですよ、本当はね。。。
正直言うと、1に関しては手段が目的化するのは割とあるあるなんです。だって楽ですもん。考えなくていいから。これをやればいいんでしょ?迷わず行けよ、行けば分かるさ!
って言って結局ゴールにたどり着かないのですね。
ついでに言うと、目的は本当はなかなか見つかりづらいです。その目的がたまに偽物だったりするからよけいにややこしい(実はこれは後々のフリになるのですが、今はとりあえず伏せておきます)。
まぁ、目的の手段化は悪いってわけではないんですよ。それが楽しいんだったらそれもアリですからね。意味もないことを何百回とつぶやくとか(←よくやります)。
ノートをとる話からここまで広げたのは他でもない、「思考を掘り下げると深いところに必ず行き着くに違いない」ということの確認作業をしたいから、という目的があります。
よし、ちゃんとオチがついた!よかったよかった。危うくこのブログの記事を書くのが目的化するところでした(笑)