「明けない夜はない」という言葉が大っ嫌いな理由
だいぶ寒くなってきました。そして冬至を迎え、一年で最も夜が長い季節でもあります。
夜と言えば。
皆さんは好きな言葉ってありますか?
中でも先ほど「夜」の話が出てきたので言いますと、
「明けない夜はない」という言葉は人気ですね。
なんか希望が持てるっていう人は多いです。
でもですよ。実は私、この言葉が大っ嫌いです。
いやぁ、100人いたら98人くらいは「良い」と評価するであろうこの言葉を真っ向から否定するのはいかがなものか、という声も聞こえてきますが、
私は嫌いです。(2回目)
なぜか?
「明けない夜はない」ってことは夜明けが必ず見られるということですよね?
それってつまり、夜明けまでは生きていることですよね?
夜明けまで生きていることがあたりまえってことですよね?
そんなの、ちっともあたりまえではありません。
「夜明けまで生きられるのが当たり前」ではありません。
だいたい、そう思えるならまだ余裕です。
本当に辛いときは、夜明けまで命が持つかどうかもわかりません。
ちょっと例えが漠然としているので、もう少し具体的な話をしてみます。
(あくまでたとえ話です。フィクションです。しかし、現実的な話だということは異論ないと思います)
例えば、ある人(Aさんとしましょう)は会社に勤めています。しかし、Aさんの上司が実にひどい。Aさんに対してかける暴言の数々。
「お前は何やってるんだ」
「お前なんか会社にいる価値はない」
「そもそも社会人としての自覚がだな・・・」
「お前の両親はどういう育て方をしたんだ」などなど。
いわゆるパワハラです。まぁ、でも案外そこら辺にありそうな話ではあります。
で、Aさんは精神的にメッタメタです。会社に行くのが辛い。もう体の一部に不調が出ている。会社にたどり着くだけでやっとこさっとこ。それははたから見ると明らかです。
でも、明けない夜はありません。大きな会社であれば数年に一度、ローテーションで部署異動がありますし、そうでなくてもたいていの場合は上司の方が年齢が上で、先に定年退職を迎えるのは上司ですから、上司が上司でなくなる日は必ずやって来ます。
だから「明けない夜はない」という言葉は正しい。その言葉を胸に今日も頑張りましょう。
・・・ってAさんに言えます?
多分そうやって行くと次は体を壊して会社に行けなくなりますよ。
「明けるはずの朝」にたどり着く前に、最悪、文字通りに死んでしまいます。
そう、夜明けなんて待ってられないのです。朝まである保証のない命を守るためには、Aさんがとるべき行動は、希望を持つことではなく「逃げる」ことじゃないですか?
逃げるためにどうするか。それを考える方がよっぽど建設的です。
「明けない夜はない」は確かに事実ですが、一方で、「今ここが夜であっても、今昼である世界はちゃんとどこかに存在する」のです。
今東京が真夜中だとしても、地球の裏のリオデジャネイロは真昼間です。あるいはそこまでいかなくても、ハワイあたりなら朝だったりします。
それならば、昼間の世界に動いた方が得策ではないでしょうか。
結局、座して待つなんて悠長なことは言ってられない。夜明けまで生きられる保証がないからこそ、別の世界に向けて今動くのです。
私も前の会社を辞めた時は、「夜明けまで待てるほど心身がもつかどうかわからないな」と思ったので、そこから逃げる選択をしました。幸いにも、心身がダウンする前に何とか次のところが見つかったので、夜明けを待たずに夜の世界を脱出したことで、延命できました。
例え今あなたの場所が真っ暗な夜だとしても、そしてもういつまで持つかわからないギリギリの戦いをしていたとしても、そこと同じ時刻で、太陽の光が届く明るい世界が並行して存在しています。しかし、その世界は今のあなたに見えているとは限りません。
見えないものを信じろというのも無理な話です。だからこそ、世界を広げられるような環境をつかんでほしい。
私も自分が見えている世界なんてタカが知れています。まだまだ見えていない世界はいっぱいある。だからこそ、それを閉ざすような勢力にはなんとか抵抗し、そして世界を拡大させてくれる環境には、できる限りのリソース(時間とお金と集中力)をつぎ込んでいるのです。
「明けない夜はない」と自分を鼓舞させるだけが解決策ではありません。それだと、朝を迎える前に死にますよ。
むしろ違う世界に動きましょう。大丈夫です。世の中にはあなたの想定の外で、上手くいっちゃっている人がいます。まずはその世界があることを知りましょう。
そしてその世界にできるだけ触れられるようにし、臨場感を高め、やがてその世界に飛び移れた時、命は光り輝いて、なおもしっかり鼓動を打つのです。