板書をノートに書き写してもねぇ?に気づかなかった高校時代の話
さて今回はちょっとした思い出話を。
あれは高校の時の話。当時私はボチボチな進学校に通っていました。中学時代、それなりに勉強ができたので、入ることができたわけです。学校の授業もまじめに聞き、先生に質問したりと、それはそれは優等生でした(自分で言うな)
ところが、高校になってからある症状に襲われます。それは、
「眠いと思う前に寝ている」
起きてから自分が眠いということに気づくのです。
さらに言うと学校の授業は起きている時間より寝ている時間の方が長かったと思います。
別に授業がつまらなかったわけではありません。いや、別に面白かったわけでもないんですが。
興味のある授業も結構寝ていた気がします。
それでも時々起きるので、板書を写します。まだ当時は携帯電話も発達していなかった頃なので、カメラでパチリ、と言うわけにもいきません。とにかく、板書に書かれているとおりに書き写します。時には文字があとから読めなくなることもありましたが、何とか友達のツテも借りながら写しました。
で、それだけノートをちゃんと取ったのですから、あとからテスト勉強するときにそのノートを読み返せば勉強できると思うじゃないですか。
しかし、これが全然できない。ノートを見返しても全然分からないのです。
さて、なぜノートを見返しても全く分からないのでしょう。
授業を聞いていなかったから?
そうですね。その通りです。
では聞きます。先生は一体何を黒板に書いているのでしょうか?
それはキーワード、そして図です。
つまり、板書には、先生が説明している内容そのものは書いてなんかいなかったんですね。
まぁ、半分自己満足と言えばその通りです。何となくキーワードを書いておけば先生も授業した気になるでしょうし、私もノートを取っておけばとりあえず授業に出た気にはなるのです。
というわけで、私は「ノートを取っておけば内容は理解できる」と思ったわけですよ。そしてそれが間違いだったわけです。
で、ここで終わるとまぁただの思い出話で終わるわけですが、ここで私は「先生の板書なんか自己満足でしかない」と言うことに気づいたわけです。
もう一度整理すると、内容を理解するためにノートを取っていたわけですが、それは先生の板書さえ写せばよいと思っていたわけです。しかし、本当に理解すべきことは、板書そのものよりもずっと内容が多いのです。そう、それは書いてない、私が寝ていた間にしゃべっていた中にあったのです。っていうか、それこそ板書に書いてよ、って話なのですが。
これ、今でも実は通ずるところがあって、セミナーで講師がホワイトボードだったりパワーポイントの資料に書いてあることだけが大事ではないことはよくあります。
講師がぽろっとしゃべった内容が一番大事ということもあるのです。
つまり、講師の先生の話はちゃんと聞きましょうね、ということです。板書だけ書いてたらもったいないですよ。本当に大事なことは資料にも板書にもない。そんな経験のお話でした。
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で、終わりませんよ。本当に伝えたいことはもっと深いところです。次回に続く。