エースのステージアップへの軌跡

「当たり前の水準を引き上げる」をテーマに、いろいろなことについて語っていきます。メンタルやスピリチュアルな話からお金や仕事の話まで。

お正月の過ごし方、今年はこれを排除しました

2018年、始まりました。もう1週間になりますが、皆さんは早速動き出していますか?
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あと50回くらい繰り返すと1年終わります。1週間がうまく使えなかったら、次の1週間で立て直しましょう。


で、お正月はあることを実行しました。それは「テレビの特番を見ない」です。
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お笑いが好きな私にとってはお正月はパラダイスであるとともに鬼門です。
正月のお笑い特番はとにかく長い。3時間、5時間当たり前。時間をとにかく贅沢につかってこれでもかというくらいネタを見せてくれる。
こっちも休みだし、「まぁ、いいか」という感じで見てしまう。

それでも去年まではリアルタイムでは見ず、一度録画したものを追っかけながら(1.5倍速で)見ていたので少しはマシだったのですが、それでも見終わるのにはとても時間がかかりました。

もちろんお笑いは楽しいですし、私にとっては気分が一新されるのも事実です。ただ一方で、見ている時間はそれにかかりきりになる。そんな時間が積み重なった結果、その時間をほかの事に使えばもっといろいろなことができたのに、という反省もありました。

ということで、昨年末から今年のお正月にかけては、テレビを封印してラジオにしました。
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ラジオは「ながら」が本当にやりやすい。紅白もラジオでした。
ラジオを聴きながら、SNSで友人と情報交換をし、たまっていたタスクを片付けました。

あとは読書の時間を長く取りました。
新聞もまったく読まなくなってしまった私ですが、かつては新聞の元日特集記事を読むのが恒例でした。
そこには大抵未来と希望あふれることが書かれているのが定説です。

そういう情報の切り取り方もわかりますが、今年新聞を読まない代わりに読書をしました。ネット界隈で話題になっている落合陽一さんの著書です。
万人におススメできるものではありません。文章は抽象的ですし、希望あふれたものなんかでは全然なく、「ホワイトカラーのあなた、このままだとロボットに使われることになりますよ?」などなど、それはそれはエグイ文章の連続です。しかし、現実を直視するなら避けては通れないでしょう。そういう方にはおススメです。

というわけで、このお正月は「どういう情報を得るのかを自ら選択し、自分の時間をデザインしていく」ための第一歩を歩み始めました。

「萌えのために稼いだら億万長者になれる」ってよくないですか?

大晦日ですね。

もう正月休みに入りましたか?それともそんなものなんかあるわけねーだろ、ですか?

 

さて、私は今年たくさんの本を読んできました。といっても、最後までたどり着くものはそんなに多くなく、逆に言うと最後まで読み切るということは私にとってよほどの価値があるものということになります。

今回はその中から、私が「これはおススメ」というものをご紹介します。

 

・・・が、今までの記事をご覧いただいたあなたならご察しの通り、普通の本を取り上げるのはおもしろくありません。ということで、きっとあなたは読んでいないだろうという本の中からおススメできる本を探しました。

ちなみに「ヒットもした」ということですと、下のあたりがおすすめです。が、話題にもなりましたし、書評はいろいろな方が書いていますので、私からはどうこう言いません。

 あと、ちょっと前に取り上げた記事がこれ。

 

stageup.hatenablog.com

 

というわけで、引っ張りましたが、今回ご紹介する本は(テレビショッピング風に)

野崎幸助著『紀州ドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男』です。

 

ドン・ファンと聞いてまずポケモンを思い浮かべる方は私と同志です。

ドン・ファン - Wikipedia

17世紀のスペインの伝説上の人物、そして一言で言うと「プレイボーイ」です。

この著者である野崎さんはなんと75歳を超えてなお、「現役」なのです。

 

さて、ここで質問です。

あなたは「何のために稼いでいますか?」

多くの方は「生活のため」「家族を養うため」。大体そんなところですよね。私もそんな感じです。

野崎さんは次の一言にすべてを集約します。

 


定年後の華麗なるシルバーライフを羨ましいと思ったことはありませんし、自分の仕事が辛い と思ったこともありません。それは、私には仕事をし、お金を稼ぐはっきりとした目的があるからです。
私がお金を稼ぐ理由は、なんと言っても魅力的な女性とお付き合いをしたい、その一点に尽きます。

 

 ちなみに「お付き合いをしたい」というきれいな表現を使っていますが、実際に書かれていることはつまり「ヤりたい」ということです。それもこの歳にして20代の若いお姉ちゃんに手を出してますからね。

これが彼にとっての「萌え」なのです。彼は、いい女を抱くために仕事をしたのです。その結果として、30億円は下らない金額を稼ぎ、萌えに生きるを体現しています。

 

まぁ、いろいろ倫理的にとか法的にとかで綺麗でない部分はあると思いますが、つまり、「私はこれのために稼ぐ」を明確化し、そこに臨場感を持たせると、いかにエネルギーが強くなるかというのが良くわかる一冊です。

(それはそれはここでは書けないあれやこれやが書かれています。)

 

いくら萌えのために進むとはいえ、やはり「辛いものは辛い」「簡単ではない」「人生山あり谷あり」というのは野崎さん自身も認めていることなので、道のりは決して平坦ではないですが、こういう人生もあるということを知っておくことは、新しい世界の発見になるはずです。

年末年始、新年の目標を立てるなら、その根本を見直してみませんか?

 

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あなたは何のために稼ぎたいですか?
生活に必要な部分がすべて満たせてなお稼げるとしたら、何にお金を使いますか?

ちなみに年末年始は本屋さんもお休みのところが多いと思いますが、AmazonKindleであれば1分で買えます!今日買ってお正月のうちに読み切れますよ!電子書籍スマホでもタブレットでも読めるので、初詣の行列で「待つのだるいな」なんていう生活からおさらばです!どうせ待つなら有意義に時間を使いましょうよ!

 

 

 

 

「明けない夜はない」という言葉が大っ嫌いな理由

だいぶ寒くなってきました。そして冬至を迎え、一年で最も夜が長い季節でもあります。

夜と言えば。

皆さんは好きな言葉ってありますか?

中でも先ほど「夜」の話が出てきたので言いますと、

「明けない夜はない」という言葉は人気ですね。

なんか希望が持てるっていう人は多いです。

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でもですよ。実は私、この言葉が大っ嫌いです。

 

いやぁ、100人いたら98人くらいは「良い」と評価するであろうこの言葉を真っ向から否定するのはいかがなものか、という声も聞こえてきますが、

私は嫌いです。(2回目)

なぜか?

「明けない夜はない」ってことは夜明けが必ず見られるということですよね?

それってつまり、夜明けまでは生きていることですよね?

夜明けまで生きていることがあたりまえってことですよね?

 

そんなの、ちっともあたりまえではありません。

「夜明けまで生きられるのが当たり前」ではありません。

だいたい、そう思えるならまだ余裕です。

本当に辛いときは、夜明けまで命が持つかどうかもわかりません。

 

 

ちょっと例えが漠然としているので、もう少し具体的な話をしてみます。

(あくまでたとえ話です。フィクションです。しかし、現実的な話だということは異論ないと思います)

例えば、ある人(Aさんとしましょう)は会社に勤めています。しかし、Aさんの上司が実にひどい。Aさんに対してかける暴言の数々。

「お前は何やってるんだ」

「お前なんか会社にいる価値はない」

「そもそも社会人としての自覚がだな・・・」

「お前の両親はどういう育て方をしたんだ」などなど。

いわゆるパワハラです。まぁ、でも案外そこら辺にありそうな話ではあります。

で、Aさんは精神的にメッタメタです。会社に行くのが辛い。もう体の一部に不調が出ている。会社にたどり着くだけでやっとこさっとこ。それははたから見ると明らかです。

でも、明けない夜はありません。大きな会社であれば数年に一度、ローテーションで部署異動がありますし、そうでなくてもたいていの場合は上司の方が年齢が上で、先に定年退職を迎えるのは上司ですから、上司が上司でなくなる日は必ずやって来ます。

だから「明けない夜はない」という言葉は正しい。その言葉を胸に今日も頑張りましょう。

 

・・・ってAさんに言えます?

多分そうやって行くと次は体を壊して会社に行けなくなりますよ。

「明けるはずの朝」にたどり着く前に、最悪、文字通りに死んでしまいます。

 

 

そう、夜明けなんて待ってられないのです。朝まである保証のない命を守るためには、Aさんがとるべき行動は、希望を持つことではなく「逃げる」ことじゃないですか?

 

逃げるためにどうするか。それを考える方がよっぽど建設的です。

 

「明けない夜はない」は確かに事実ですが、一方で、「今ここが夜であっても、今昼である世界はちゃんとどこかに存在する」のです。

今東京が真夜中だとしても、地球の裏のリオデジャネイロは真昼間です。あるいはそこまでいかなくても、ハワイあたりなら朝だったりします。

それならば、昼間の世界に動いた方が得策ではないでしょうか。

 

結局、座して待つなんて悠長なことは言ってられない。夜明けまで生きられる保証がないからこそ、別の世界に向けて今動くのです。

 

私も前の会社を辞めた時は、「夜明けまで待てるほど心身がもつかどうかわからないな」と思ったので、そこから逃げる選択をしました。幸いにも、心身がダウンする前に何とか次のところが見つかったので、夜明けを待たずに夜の世界を脱出したことで、延命できました。

 

例え今あなたの場所が真っ暗な夜だとしても、そしてもういつまで持つかわからないギリギリの戦いをしていたとしても、そこと同じ時刻で、太陽の光が届く明るい世界が並行して存在しています。しかし、その世界は今のあなたに見えているとは限りません。

見えないものを信じろというのも無理な話です。だからこそ、世界を広げられるような環境をつかんでほしい。

私も自分が見えている世界なんてタカが知れています。まだまだ見えていない世界はいっぱいある。だからこそ、それを閉ざすような勢力にはなんとか抵抗し、そして世界を拡大させてくれる環境には、できる限りのリソース(時間とお金と集中力)をつぎ込んでいるのです。

 

「明けない夜はない」と自分を鼓舞させるだけが解決策ではありません。それだと、朝を迎える前に死にますよ。

むしろ違う世界に動きましょう。大丈夫です。世の中にはあなたの想定の外で、上手くいっちゃっている人がいます。まずはその世界があることを知りましょう。

そしてその世界にできるだけ触れられるようにし、臨場感を高め、やがてその世界に飛び移れた時、命は光り輝いて、なおもしっかり鼓動を打つのです。

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ノートをとるのは何のため?○○と××の話

さて、前回はこんな話をしました。
 
つまり、ノートをとるときは板書以外も大事だよ、という話でした。
まぁ、大人になってからノートを取るなんてことはあまりない人が多いかもしれませんね。
で、まだまだ続くぜ、なんて勢いで言ってみました。
いや、ほんとは勢いじゃないですよ。
 
さて、ここで問題です。なぜこの少年はノートを取ったんでしょうかね?ノートを取るなんてそんなめんどくさいことをなぜそこまでしてやったのか?ということです。
 
それは、あとで見返すため?
惜しい。正解はあとで復習して、授業の内容を思い出すため。
 
あれ?授業の内容を思い出すも何も、インプットしてないじゃないですか!
さらに言うと、ノートを取るという行為は授業の内容を思い出すということに何の役にも立ってない、ということは明らかですよね。
 
つまり、手段が手段になってないわけです。
 
これは割とあるんじゃないですかね?
 
手段が手段でなくなってしまうのには、2つのパターンがあります。
 
1.いつの間にか何の為にやっているのか分からなくなった(手段の目的化)
 
2.目的はちゃんとあるけど、その手段は目的達成のためにふさわしくない
 
今回の場合は2ですね。どうせノートを取るならちゃんと先生の話を聞いて、その内容をノートに盛り込む必要があったんですね。
 
というわけで、現在の私はちゃんとノートが取れるようになりました。おかげで、あとから見返したときに、講師が何を伝えたかったのかが反復して思い出せるようになりました。これで目的達成ですね。
 
というわけで、今回は手段目的のお話」でした。
おさらいすると、
1.その行為の目的は何ですか?手段が目的化してませんか?
2.目的達成のためにとっているその手段は正しいものですか?
 
となります。まぁ、これが分かれば苦労しないんですよ、本当はね。。。
 
正直言うと、1に関しては手段が目的化するのは割とあるあるなんです。だって楽ですもん。考えなくていいから。これをやればいいんでしょ?迷わず行けよ、行けば分かるさ!
って言って結局ゴールにたどり着かないのですね。
 
ついでに言うと、目的は本当はなかなか見つかりづらいです。その目的がたまに偽物だったりするからよけいにややこしい(実はこれは後々のフリになるのですが、今はとりあえず伏せておきます)。
 
まぁ、目的の手段化は悪いってわけではないんですよ。それが楽しいんだったらそれもアリですからね。意味もないことを何百回とつぶやくとか(←よくやります)。
 
ノートをとる話からここまで広げたのは他でもない、「思考を掘り下げると深いところに必ず行き着くに違いない」ということの確認作業をしたいから、という目的があります。
 
よし、ちゃんとオチがついた!よかったよかった。危うくこのブログの記事を書くのが目的化するところでした(笑)

板書をノートに書き写してもねぇ?に気づかなかった高校時代の話

さて今回はちょっとした思い出話を。
 
あれは高校の時の話。当時私はボチボチな進学校に通っていました。中学時代、それなりに勉強ができたので、入ることができたわけです。学校の授業もまじめに聞き、先生に質問したりと、それはそれは優等生でした(自分で言うな)
 
ところが、高校になってからある症状に襲われます。それは、
「眠いと思う前に寝ている」
起きてから自分が眠いということに気づくのです。
さらに言うと学校の授業は起きている時間より寝ている時間の方が長かったと思います。
別に授業がつまらなかったわけではありません。いや、別に面白かったわけでもないんですが。
興味のある授業も結構寝ていた気がします。
 
それでも時々起きるので、板書を写します。まだ当時は携帯電話も発達していなかった頃なので、カメラでパチリ、と言うわけにもいきません。とにかく、板書に書かれているとおりに書き写します。時には文字があとから読めなくなることもありましたが、何とか友達のツテも借りながら写しました。

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で、それだけノートをちゃんと取ったのですから、あとからテスト勉強するときにそのノートを読み返せば勉強できると思うじゃないですか。
 
しかし、これが全然できない。ノートを見返しても全然分からないのです。
 
さて、なぜノートを見返しても全く分からないのでしょう。
授業を聞いていなかったから?
そうですね。その通りです。
 
では聞きます。先生は一体何を黒板に書いているのでしょうか?
それはキーワード、そして図です。
つまり、板書には、先生が説明している内容そのものは書いてなんかいなかったんですね。
まぁ、半分自己満足と言えばその通りです。何となくキーワードを書いておけば先生も授業した気になるでしょうし、私もノートを取っておけばとりあえず授業に出た気にはなるのです。
 
というわけで、私は「ノートを取っておけば内容は理解できる」と思ったわけですよ。そしてそれが間違いだったわけです。
 
で、ここで終わるとまぁただの思い出話で終わるわけですが、ここで私は「先生の板書なんか自己満足でしかない」と言うことに気づいたわけです。
 
もう一度整理すると、内容を理解するためにノートを取っていたわけですが、それは先生の板書さえ写せばよいと思っていたわけです。しかし、本当に理解すべきことは、板書そのものよりもずっと内容が多いのです。そう、それは書いてない、私が寝ていた間にしゃべっていた中にあったのです。っていうか、それこそ板書に書いてよ、って話なのですが。
 
これ、今でも実は通ずるところがあって、セミナーで講師がホワイトボードだったりパワーポイントの資料に書いてあることだけが大事ではないことはよくあります。
講師がぽろっとしゃべった内容が一番大事ということもあるのです。
 
つまり、講師の先生の話はちゃんと聞きましょうね、ということです。板書だけ書いてたらもったいないですよ。本当に大事なことは資料にも板書にもない。そんな経験のお話でした。
 
・・・
 
 
・・・
 
 
・・・
 
 
・・・
 
 
・・・
 
 
・・・
 
 
で、終わりませんよ。本当に伝えたいことはもっと深いところです。次回に続く。

今年一年を振り返ろうとしているあなた、ちょっと待ってください!

12月に入り、いよいよ年末に入ってきました。
 
今日は日付変わって12月10日、残すところ22日。

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これくらいの時期になると毎年私は首を傾げる現象に出くわします。
それはズバリ、「今年一年を振り返る」
facebookでも1年の投稿した写真を振り返ったり「あなたの2018年は?」なんてのが賑わったりしています。
 
でも、今日という日に「今年一年を振り返ること」。これに何の疑念も持たないなら、チョイとやばいですよ。
 
最初に言いました。今年も残すところあと22日。1年全体のおよそ6%。
手取り20万円の人なら1万2千円。
 
・・・こんだけ残しといてもう1年振り返ります?
1万2千円しかなくて「もうこれしかないから有り金捨てて次の給料日に期待!」なんて言いませんよね?
 
22日あったら色々なことできます。まだまだ本も何冊も読めます。いろんな人にも会えます。一仕事できますよね。
 
だいたい1年の頭に立てた目標だってあるでしょうに。それをもう放棄するんですか?
 
大どんでん返しはなかなか難しいかもしれませんが、それでも何を起こせるかはわかりません。
 
残り22日を捨てて今年を振り返り、来年は…と言う人に来年の目標なんか達成できるわけないです。だったら今年のうちに少しでも進めましょう。
 
思えば2年前。前に働いていた会社に辞表を出したのは12月25日のことでした。家族に対して「俺、会社辞めるわ」と報告したのは、12月30日の夜でした。
 
私もあと22日でもう一皮むけます。外出先でもタスクをこなせるような環境を少しずつ整えて、より濃くて強力な情報発信をもっと多い頻度でできるようにします。
 
これを読んだあなたも、大晦日の除夜の鐘が鳴り終わるまで、私と一緒に駆け抜けましょう!今年を振り返るのはそれからで充分です!

大衆と違ったことをした人が成功をつかむ

ちょっとヘビーな話が続いたのでここで少し軽い話を。

 

仕事帰りにいつも立ち寄るスーパーがあるんです。だいたい23時半くらい。もうこっちは完全にオフモードです。

 

そのスーパーには休憩できる場所があります。テーブルとイスがあります。

 

もう閉店間際で人もまばら。でも、そこを通りかかるといつも、同じ女子高校生が勉強してるんですね。

23時半に外ですよ。

 

(ちょっと条例かなんかに引っかかりそうかもしれませんが、18歳には達していそうだからまぁセーフかな)

 

たぶん塾とかに行った帰りでしょうかね。塾の自習室から追い出されてここにいるのでしょう。

普通はもうそろそろ終わりって時間です。

多くの人が普通はやらない時間に彼女は勉強を進めている。

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ご存じの通り、大学受験はやることやれば受かる試験ですが、そこはやはり相対的な評価から逃れられない勝負の世界でもあります。だから、普通の人と同じ量や質では勝てないのです。だからこそ、効率のいい方法、正しいやり方、そして圧倒的な量が必要なのです。

 

ここで大学受験必勝法を説きたいわけではありません。

あなたが今のままで終わらせない秘訣はここにあるのです。大多数の人々と同じではいけないのです。質で勝つか、量で勝つか、どこかで大多数の人と違うことをしたほうがいいのです。

それだけで世界の少数派であり、突き抜けた人になるのです。

 

だから私は目指します。世界の少数派たるために、そして一握りの存在になるために。

「既にあなたはオンリーワン」と言う考え方があることは認めますが、私は半分はただの慰めにすぎないと思っています。

 

今日も世界の片隅で、あなたも私も新しい世界が見えるようにと願いながら、この記事を送ります。